Food Policy編集委員引退と昔話
2. 研究小話2021年07月23日
長い間たずさわってきたFood Policyの編集委員を、6月末で完全引退しました。出版元のエグゼビアの規則で、在任期間はトータルで10年までとあり、満期で引退となりました。
ブログに書くほどの事でもないとも思ったのですが、Food Policyのツイッターでアナウンスしてくれたので、記録として残すとともに、昔話でもしておこうと思います。
Food Policyは、もともとロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の教授陣が創刊した国際誌で、創刊してからずっと編集委員はSOASの教授陣だけでした。そのような中、編集委員をSOAS外に拡大するという一大改革を敢行し、私を編集委員に誘ってくれたのが、ツイートにリプライしているBhavaniでした。投稿数が急増していた中国に関する論文を担当でき、英語ができて、シガラミのない研究者ということで、私に白羽の矢が立ったようです。それが2011年の話です。
つまり、私はSOAS外でFood Policyの編集委員に加わった初代グループの1人になります。その後、Bhavaniと共同で編集委員長をやった時期もありましたが、当時は編集委員の人数も少なく、年間300本以上の論文を処理するのがきつすぎて、一度引退しました。その時に委員長を引き継いだのが、現在も共同編集委員長をやっているMarioでした。そのあと、再び2016年に編集委員に誘われて、結局トータルで10年もやることになりました。
現在では、編集委員も大きく様変わりして、ずいぶんと立派な国際誌になったものだと感慨深いものがあります。インパクトファクターも、2011年は1.83だったのが、2021年には4.52にもなっています。
思い起こしてみると、10年間でおおよそ900本強の論文を担当してきたことになるので、概算で800本弱をリジェクトしたことになります。共著者も含めて1000人以上から恨まれていてもおかしくないと考えると、空恐ろしくなりますが、やっとそんな生活から解放されました。
ただ、編集委員をやめた途端、容赦なく査読依頼が来ているので、まだまだ長い付き合いになりそうです。
おまけ:ちなみに、私を編集委員に誘ってくれたBhavaniと知り合った切っ掛けは、IAAEの国際学会(ICAE)でした。それまで全く面識はなかったのですが、私の報告を聞きに来てくれて、学会期間中に色々と雑談したのを覚えていてくれたのです。なにが切っ掛けになるかわからないので、できるだけ国際学会に参加してネットワークを広げましょう、ということです。